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祖母が亡くなりました。 [お知らせ]

先月、24日に祖母が息を引き取りました。
明け方、病院から連絡があり、駆けつけましたが、間に合いませんでした。
生後2ヶ月の頃からずっと育ててもらった祖母でした。
亡くなる前日の夜まで、しっかり話も出来る状態で、担当医の先生にも珍しい状態でしたと言われました。
認知症も進んではいましたが、まるっきりわからない状態ではなく、きちんと話も出来ることが多かったので、入院してからは家に帰りたいと良く話していました。
食事も嚥下が困難になり、点滴でずっと栄養を取っている状態でしたが、何か食べたいという欲求が強くて、病院に行くたびにパンを買ってきてとか色々頼まれましたが、先生や看護師さんに食べ物を与えて平気なのかを確認すると、ダメです。ということで結局何もしては上げられず。
そのほかにももっと何か出来ることがあったんじゃないかと考えてしまいます。
幼稚園、中学、高校、短大とお弁当も毎日作ってもらいましたし、日々の食事も祖母が作ってくれたものを食べてました。
いわゆる、お袋の味は祖母の作ってくれた料理です。私にとっては。
洋服も子供の頃は手づくりのものを着せてもらいましたし、本当に時間と手間をかけて育ててもらったと思っています。
時代劇も一緒に見ていましたし、アニメも私が見ていたのを一緒に見ていて、特に最近では名探偵コナンが好きでした。
入院してから、
「あの小さな利口な子が出てくる番組、あの女の子はもう待ってる人にあえたの?」
とたまに聞かれました。
蘭ちゃんが新一君に会えたのかを気にしていましたが、まだ会えてないみたいだよ。というと、
「ああそう。でも相手が生きていれば必ず会えるからね。」
と言っていたりもしました。
なんでアニメの記憶がこんなに鮮明なんだろうかと不思議に思っていたら、祖母の若い頃、婚約者の人が戦争で亡くなっていて、戦死を信じられなくて祖母はずっと待っていたと言うことを知り、蘭ちゃんと自分の過去を重ねていたんだなと思いました。
相手が生きていればと言ったその言葉の意味を知って、胸が苦しくなる思いでした。
病室にDVDプレイヤーの安いのを買って録画した時代劇やコナンを見舞いのときに持っていって見せたりしましたが、DVDの機械が何処のメーカーだか聞いた事が無い機械で安かったのですぐに壊れてしまって、白内障が進んで画面が良く見えないというので、家で音を録音してもって行き、それを聞いて病室での退屈を紛らわせたりしていました。
毛利のおっちゃんがお酒をおいしそうに飲んでいる声も好きだったようで、祖母の父親がお酒が好きで、よく飲んでいたのを思い出したみたいでした。
戦争前の幸せだった頃を思い出せる時間だったんじゃないかと思います。
ちょうど、祖母の見舞いに行った時に小山力也さんの握手会が当たったと話をしたら、
「そうなの。せっかくだから行ってらっしゃい。」
と言われていて、祖母も喜んでいたので、握手会にも参加してきました。

祖母の容態が悪くて、どこかに行きたいと本人が思っても病院からは連れ出せる状態ではなかったため、祖母の戦死なさった婚約者の方の出身の三重県に連れて行ってあげたくても出来なくて、もっと早くにこのことを知っていたらと悔やまれてなりません。
私自身がどちらかと言うと根掘り葉掘り話を聞いたりするタイプではないし、朴念仁なので、祖母にも娘時代があったことも思いやることが出来ず、気がついてあげられなかった。
婚約者の方の形見はたった一つの弓道部のメダルで、祖母がそれをお守り袋に入れて大切に持っていたのですが、病院で失くしたらいけないからとあるとき母に預けたそうです。
そのメダルと一緒に婚約者の名前と戦死した場所と日付が書いてあるメモが入っていて、私はその婚約者の男性の写真か何か祖母に渡すことが出来ればとあちこちつてをたどりましたが、何しろ戦前のこと。ご存命のかたからお話が聞けることも難しく、戦後実家は引越しをなさっていてご遺族の消息もつかめませんでした。
ですが、ネットであるホームページの管理人さんからのご紹介で、婚約者の方の実家が営んでいた旅館で使用されていたお猪口がいただけるということになり、お猪口を送っていただいて祖母の病室へ持っていくことが出来ました。
結婚が決まってから、祖母が父親と一緒にその旅館へ泊まりに行ったことがあるのを思い出して話をしてくれました。
ご実家に呼ばれたときに遠出をしたことがなかった祖母が「名古屋より遠いんでしょう。」と婚約者に話したら、「大丈夫、僕がちゃんと迎えに行くから。」と言ってくれたそうです。
送っていただいたお猪口を手に持たせると、嬉しそうにしていました。
旅館のお料理が美味しかったとか、イチゴ園が敷地内にあったとか。
婚約者の方の話をしていたときの祖母はまるで少女のようで、本当に幸せそうでした。
そして、その表情は、祖母の息を引き取ったときの顔と同じでした。
きっと、その方に会えたんだと思います。

一人になるとどうしても色々思い出して気がつくと泣いていたりで、今は出来るだけアルバイトを入れて一人にならないようにしています。
関節症も良くなっていないので、口が開きませんが。
色々立て込んでいて、気力が追いつかないこともありますが、とにかくがんばります。




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コメント 4

♪Sachiko♪

mixiからお邪魔しました。

藤原さんにとってかけがえのない大切なご家族が
亡くなられた事・・・とてもお辛いと思います。
ですが、
>その表情は、祖母の息を引き取ったときの顔と同じでした。
これは、まわりの方にちゃんと支えられて、言葉はおかしいかもしれませんが
幸せな最期を迎えられたからだと思います。

何もしてあげられないもどかしさや悲しさは、家族や大切な人が
闘病生活を行っていてそれを支えてる人の多くが
感じている事だと思うんですが、藤原さんは自分だからやってあげられる
事を充分してあげていたんじゃないかな?って思います。
亡くなられた方の事をたくさん覚えていてあげて
おばあちゃんは私にこんな事してくれたよね・・・と思い出してあげて
懐かしんであげる事も一つの供養になるんじゃないかな?と。

亡くなってしまった事は本当に本当に悲しいけれど
その人の人生が素晴らしいものだったからこそ、そして
その人の人生に自分が沢山関われたからこそ悲しいんだ。と
思いっきり泣いてあげて・・・
そして気持ちや心に余裕が出来てきたら
前向きに、残してくれた思い出や、その人から受け継いだ事を
しっかりと守っていくって出来たらいいですよね。

気持ちを切り替えるって事がすぐには難しいのは、身近な人の死を
経験した事があるとやっぱり分かりますが
出来なかった事を後悔して悔やむよりも、あれをしてあげられて
おばあちゃんも喜んでくれて良かった。って思い出してあげたほうが
藤原さんのお祖母様も安心出来るんじゃないかなって思います。

最期になりましたが、本当にお疲れさまでした。
お身体もあまり無理せずご自愛くださいね(´・ω・`)
そして藤原さんのお祖母様のご冥福を心からお祈りします。
by ♪Sachiko♪ (2013-05-14 16:41) 

そーすけ

お久しぶりです。
そうでしたか。それはつらい思いをされましたね。
でもそんなに思ってもらって、おばあさまは嬉しかったと思いますよ。
今度は自分に優しくしましょう。

by そーすけ (2013-05-22 00:53) 

aoyamasijinn

☆ ♪Sachiko♪ さま

コメントありがとうございます。色々と思うことが多くて、祖母が亡くなってから、なかなかパソコンを開く時間も持てないでいました。祖母が亡くなったことがショックで伯母も体調を崩していて、持病が悪化してしまい、手術しないといけないと言われているので、私もバイトを入れて頑張りすぎたようで、風邪がなかなか治らなくて寝込んでしまいました。
祖母のことはこれから時間が出来たときにブログでも書けたらいいなと思っています。

by aoyamasijinn (2013-06-02 15:17) 

aoyamasijinn

☆そーすけさま

お久しぶりです。振り返るに、出来の悪い孫で祖母には本当に申し訳なかったなあと思うことがしばしばあって。
酷い風邪をひいてしまったので、ちょっと休養を取りました。
コメントありがとうございます。
by aoyamasijinn (2013-06-02 15:21) 

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